ぼくらのスマイルエンジン

11月30日、気仙沼復興協会さんに、学生10名で参加しました。
作業内容は、依頼があったお宅のお庭のお手入れ。この地域は、来年度には約3mのかさ上げをするため、一度住宅の取り壊しが行われます。そのため、人通りが多いこの道を来年の春だけでも華やかに、道行く人に楽しんでもらいたいという意向からチューリップの球根を植えました。以下今回参加した1年生の感想です。
【報告:嶋崎史帆 美術史保存修復学科1年/福興会議4期生】
初めて被災地に行きました。綺麗な海が見えてくると同時に津波の悲惨さを感じました。まずは気仙沼復興教会の方に、被災直後の詳しい説明などを聞かせて頂きました。説明後に改めて周りをみると復興は少しずつ進んでいるのだと思いました。
目的地へ向かうと家の土台のみが見え、自分が今立っていた場所は当時どんなものだったか考えさせられました。その後は庭を綺麗にしながらも、この場所には家があったこと。自分たちが綺麗にしていた場所は三方向からの波が来て大変だったことなどを聞いて、目で感じ取れました。しかし、それとは裏腹に気仙沼市に今もなお住み続けている人々の姿は「海と共に生きる」という強さが伺え、ボランティアをしていると、「より一層気仙沼市の人々の心が一つになったのだな。」と思いました。
【報告:阿部都子 日本画コース1年/福興会議4期生】
震災を忘れないとは本当に約束できる事なのだろうか、と考えてしまいます。忘れないでほしい物とは、私がニュースや記録書を読んで感じた事、その場にいた人が感じていた事を想像する事、そんな「私の中から生まれたもの」を覚えている事で良いのだろうかと思っていました。そうでなければ、見た物や聞いた事をそのまま覚え、いつか誰かへそのまま伝える事、それが一番誠実な選択の様な気がしていました。
気仙沼の地を実際に踏みしめたこの活動では、震災に巻き込まれた人々が失ったものの一部と、忘れないでほしいという思いの「何を」という部分を、やっと微かに見て、触って、聞いた気がしました。土の中から津波で流されて来た日用品がいくつか出て来た時、今立っているこの地面にまで津波が来たのだという事実が自分の中で現実味を帯びました。依頼主の方の表情を見たとき、絶望を優しさに変えた人の強さが、活動に集まった人々の気持ちに与えている力を感じました。他にも何気なく教えられた事を覚えている事、実行し伝える事、これが「忘れない」ということならば、今から自分に出来る事は何だろうかと、ずっと自分に問い続けながらの活動となりました。
【報告:宮川みり 工芸コース1年/福興会議4期生】
作業中3、11当時を思い出していましたが、もうほとんど思い出せません。当時東京にいた私は物資を送るので精一杯でした。整備してチューリップが植えられた庭を見て家の方は「きれいになったねぇ」と笑顔で言ってくれたけど、実際どう思っているのだろう。
帰りに見た海はとてもきれいで漁猟船がばーっと並ぶ港はライトが付き鳥肌が立つほどかっこ良かったです。ここに9mの防波堤が立つのかぁ。こんな美しい景観が変わってしまうのはもったいないなぁ。としか感じる事の出来ない自分は復興を考えるための情報、知識が足りないのだと気付きました。
【報告:桶本理麗 洋画コース1年/福興会議4期生】
今回の活動は、民家の前庭に景観をよくするため花を植えるという内容で、あまりそれが「復興」というものにどのように関わってくるのか、ピンとこないというのが作業内容を聞いた時の素直な感想です。長く伸びた雑草をひたすら抜いていくその作業の中で、自分たちが作業をしている場所は、実はもともと民家があったところであることを表す家の土台が現れてきました。最初はその事実に驚き、津波の爪痕とはこういうことかと、少しだけ実感できました。
家に帰ってから、その日の情景を思い返しました。花を植えたいという気持ちが単なる趣味などでは無く、もっと深い切実さがあるもののように感じられ、それがとても深く印象に残っています。 震災からもう三年半以上が経っていて、そんな時に初めてわたしはこの地に足を運びました。目に見える津波の痛々しさはどんどん薄れていくとしても、生活にあいた穴はまだまだ埋まってはいないというのが現在の状況なのだと思います。
【報告:木村梨穂 企画構想学科1年/福興会議4期生】
気仙沼の方々の「強さ」が印象的でした。辛く悲しいことを乗り越えるには、相当の覚悟と勇気が必要です。作業をする中で気仙沼の方々の笑顔はとても眩しく、そして絶えず温かい空気が流れていました。家族や友達、そして地域のつながりが強く、何よりも地元気仙沼への愛が強いからだと思います。被災地の今を、自分の目で見て肌で感じる。実際に現地の人のお話を聞く。それはTVやラジオの情報とはまた違うものであり、心に訴えてくる重みが違いました。加えて、普段は恥ずかしくて言うことができませんが、周りの家族や友人に対して「ありがとう」と感謝の言葉を送りたいと思いました。
東日本大震災から約3年と半年以上が経過し、新たに一歩を踏み出した人、また踏み出そうとしている人がいる。今私たち若者がすること、それは未来の東北を担う者が震災の記憶を伝え、次の世代につなげることだと思いました。